創造理工学部要項2025
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5Ⅰ 創造理工学部についてⅡ 学修案内Ⅲ その他案内1.人材の養成に関する目的その他の教育研究上の目的2.創造理工学部の方針(ポリシー)3.創造理工学部の特徴目次に戻る 4. 創造理工学部の 沿革と概要創立者大隈重信が理工系の人材を養成する必要を痛感して,私学にとって不可能と思われていた理工科の新設を決定したのは明治41年(1908)2月であり,早稲田大学理工学部は我が国の私立大学の理工系学部教育機関としては最も古い歴史を誇っている。明治45年(1912)に第1回卒業生37人を世に送って以来,今日までに多数の人びとが学窓を巣立ち,社会の多方面の分野で活躍してきた。以下は本学部の略史である。1882年 10 月 (明治 15 年) 東京専門学校創設,大隈英麿校長就任1887年 ₉ 月 (明治 20 年) 大隈英麿退任,前島密校長就任1890年 ₇ 月 (明治 23 年) 前島密退任,鳩山和夫校長就任1902年 10 月 (明治 35 年) 早稲田大学開校 大学部,専門部,高等予科,研究科を設置1907年 ₄ 月 (明治 40 年) 大隈重信総長,高田早苗学長就任1908年 ₂ 月 (明治 41 年) 理工科を新設し,機械,採鉱,電気,土木,建築,応用化学の6学科を漸次設₄ 月 ₉ 月 1909年 ₂ 月 (明治 42 年) 前記の6学科設置の計画に冶金学科を加えて7学科とする₄ 月 ₉ 月 1910年 ₉ 月 (明治 43 年) 採鉱,建築両学科の本科授業開設1911年 ₅ 月 (明治 44 年) 早稲田工手学校開設1915年 ₈ 月 (大正 ₄ 年) 高田早苗退任,天野為之学長就任1916年 ₄ 月 (大正 ₅ 年) 応用化学科予科開設₉ 月 1917年 ₂ 月 (大正 ₆ 年) 採鉱学科を採鉱冶金学科と改称₈ 月 ₉ 月 1918年 10 月 (大正 ₇ 年) 平沼淑郎学長就任1920年 ₄ 月 (大正 ₉ 年) 新大学令による大学となり,理工科を理工学部と改称 科長浅野応輔が学部長1921年 10 月 (大正 10 年) 平沼学長退任,塩沢昌貞学長就任,浅野学部長退任,山本忠興理工学部長就任1922年 ₁ 月 (大正 11 年) 大隈重信薨去1923年 ₅ 月 (大正 12 年) 学長制廃止,高田早苗総長就任1927年 10 月 (昭和 ₂ 年) 大隈記念大講堂落成1928年 ₄ 月 (昭和 ₃ 年) 早稲田高等工学校設置10 月 1931年 ₆ 月 (昭和 ₆ 年) 高田総長退任,田中穂積総長就任置することを決定先ず機械,電気の2学科の予科開設阪田貞一理工科々長就任採鉱,建築両学科の予科開設機械,電気両学科の本科授業開設恩賜記念館竣工阪田貞一理工科々長退任,浅野応輔就任天野為之学長退任応用化学本科の授業開設となる演劇博物館開館4 創造理工学部の沿革と概要沿   革

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